序の口経営者ってやつは

締切りでゴー!

ある懸賞論文に応募することにした。 テーマが興味のある分野であり、自分の考えを整理するためには、論文にまとめ上げることは意味があると思ったことが一番の理由である。

ただ、それ以上に、具体的に締切りのある作業に取り組んでみたかった。 <br> 出勤の必要がなく、決まった約束以外には何の制約がない生活をしていると、気が重い作業は際限なく先送りにしてしまう。

飲み屋で盛り上がっては、波乱万丈の人生経験を自慢し、いずれ小説にしようと思ってるんだと語る酔っぱらいの話は何度も聞かされてきた。 <br> だが、そういった彼らが小説を物したとのうわさはとんと聞かない。

かくいう自分だって、序の口経営者として歩んできた足跡を書き綴ったら、手ごたえのある読み物になるのではないかとひそかに思っている。

しかし、今に至るも、たったの1行文章ですらか書き出してはいない。 <br> 新聞や雑誌に小説を連載している作家には締切りがある。原稿を落としてしまえば流職業作家としての信用を無くしてしまう。締切り厳守は絶対の約束なのだ。

作品の質が高くなければならないのは当然だが、完璧の作品を仕上げるためであっても、締切りを無視するわけにはいかないのだ。仕上がりが少々気に入らなくても、そのまま原稿を提出してしまうことになる。 <br> 当然作品の評価は低く、世間からの評判も悪い。不出来な作品を世間にさらしてしまうことは、職業作家にとっておおきな屈辱であり、読者を減らす大きな要因となる。

次の作品ではなんとしても傑作を物としなければ作家声明は終焉を迎えてしまうかもしれない。
締切りまでの限られた時間内で最高のクオリティを実現することを求められ続けることで、作家は鍛えられる。流行作家であればあるほど、 何本もの連載を一度に抱えているから、短時間でクオリティの高い作品を生み出さなければならないプレッシャーは、より大きくなる。

こうした試練を乗り越え生き残ってきた流行作家は締切りに追いまくられることで傑作を連発し、さらに締切りが増えるという好循環に恵まれることになる。

小説に限らない。
締切りのない生活からは、決して何も有意な価値は生まれない。

定年を迎えてリタイアし、無限に自由になる時間を手に入れたことに浮かれていてはいけない。怠惰な日常をだらだらと過ごすことばかりを楽しんでいるリタイア者ほど 一気に老け込んでしまうよ、と、一時期大関経営者レベルまで上り詰めた尊敬する経営者に釘を刺されたことを、ふいと思い出した。

論文の締め切りは年末。
何とか傑作を物にしたい。

しかし、自分に甘い筋金入りの序の口経営者のこと、論文の出来もさることながら、そもそも締切りを守れるかどうかすら疑わしい。
なんとか締め切りまでに論文が提出できたら、この場で開示することにする。