序の口経営者ってやつは

ラストワンフィート

台風や地震などの大規模災害が起きてしまうと、復旧作業は膨大になり、行政だけでは賄えない。そこでボランティアを募集することになる。
しかし、昨今のように次々と災害が起きてしまうと、マンパワーが分散されてしまい、ボランティアの人数が十分にかウホできない地域も生じる。

ボランティアが募集されるのは災害時に限らない。先日終了したラグビーワールドカップでは計1万人が参加したし、東京オリンピックでは8万人ものボランティアが運営を支える予定である。

社会福祉協議会が把握しているボランティアの人数は、1980年では160万人にとどまっていたが、年々その数を増やし、ピークの2011年(東日本大震災発生年)には870万人となっている。その後、漸減し、2017年時点では700万人余りが確認されている人数だ。

ボランティアというと無償奉仕という認識が強いが、もともとの語源は「志願兵」。有償のボランティアというのも、もちろんありである。

そもそも、誰かの役に立ちたいという感情が沸き上がるのは、人間に組み込まれた本能であり、普通のことである。ボランティアに興味がある日本人は4000万人いるとの報告もあるが、特に驚きはしない。

暇を持て余している自分もまた、誰かの役に立ちたいとうずうずしている一人である。
といって、ボランティア団体に登録したり、被災地に乗り込んだりと具体的にアクションをしたことはない。覚悟が中途半端なんである。

例えば自分は今日1日、在宅予定である。
高いところにある電球が切れて、困っている近所の年寄りの家に出向いてつけてやったり、ついでにお茶でも飲んで話し相手になるぐらいの気持ちはある。
体調を壊して外出できない独り者のために、買い物をし、クックパッドを参考にして夕食を作るぐらいのこともできる。

もちろん、電車に乗っていくような先では気が重いし、プロフェッショナル並みのクオリティを求められてもできはしない。でも、親兄弟など家族のためには、頼まれれば普通にやっているのだから、これでも助かるという人はいるはずだ。

逆に、自分が困った立場になったときに、ボランティアの派遣を頼めるかとなると、ちょっとひるむ。 赤の他人に、電球を付け替えてくれとか、ちょっと夕食作ってよ、などとは頼めたもんじゃない。

4000万人いるという潜在的なボランティア希望者が、一歩を踏み出すのをためらってしまうのは、物理的・心理的なハードルが高いからではないだろうか。休日を丸1日犠牲にしたうえに、交通費も自腹で払うとなればそれなりの覚悟がいる。

このハードルを解消するのは、小銭のやり取りではないかと思うんである。
便利屋やプロ家政婦にそれなりの報酬を支払ってまで頼むのはもったいない。けれど、確実に困っている。仲のいいご近所さんでもいればひょいと頼めるぐらいのことだがなかなかそんな存在に恵まれている人はいない。
それで小銭である。せいぜい子供が手伝いをしたときに渡すお駄賃程度。 頼む方はお金でけりが付くのだから、気軽に頼める。
もらう方もお駄賃程度なら、ボランティアとしての満足感が得られる。

ちょっとした頼み事を、近所で暇をしている誰かに小銭を払ってお願いする。誰かは気軽に人の役に立てる気分をお駄賃付きで味わえる。
ラストワンマイルならぬ、ラストワンフィートのサービス。
いいんじゃないかなあ。

あとはだれかが、両者を繋ぐマッチングアプリをやっつけてくれればいいのだよ。 序の口経営者の手にはとても負えないけど、だれかお駄賃払うから作ってくれないかなあ。